平成27年度 高知大学大学院入学式告辞
高知大学大学院総合人間自然科学研究科へ入学された皆さん、ご入学おめでとうございます。
皆さんは、大学における高等教育を修められ、これからさらに最先端の知識を修得し、最先端の研究を遂行するために大学院に進学されました。
研究とは、豊富な知識をもとに、未解決の領域を発見し、それが何であるかという仮説を立て、実験や調査を通して仮説が正しいことを証明するプロセスであり、PDCAサイクルを回し続けることでもあります。言ってみれば、研究は究極の課題発見・課題解決学習であり、研究者とは、かすかな星明かりを頼りに、大海に浮かび目的地に向かってさまよう小舟の船長のような存在であります。
研究を遂行するためには、多くの知識を学び、優れた技術を修得することはもちろんのこと、豊かな想像力と発想力、調査力と実行力、そして成果をまとめて論文に仕上げる表現力が必要とされます。これらの能力を修得するためには、過去の論文と最新論文を読破して、研究対象の歴史と現在を理解することに加え、日頃から、身近にある課題を発見する習慣と真摯かつ深い議論の繰り返しが求められます。そのような過程には、失敗や計画の練り直しを繰り返すのが常であり、失敗経験にこそ研究の意義の大部分があるといっても過言ではありません。
昨年ノーベル賞を受賞された中村教授は、「研究はギャンブルと似ている。やる気と同時にリスクをとることも重要」と言っており、研究は必ず成功するとは限りません。しかし、失敗を楽しむくらいの精神的余裕と、失敗を成功の種とする分析力と評価力、そして継続力があれば必ず良い成果を得ることができると信じております。それ故に、研究をやり遂げた先達の多くは、学部の学びとは比較にならない高い社会人力、そしてリーダーに求められる様々な能力を身につけているのであります。
さて、大学院では、皆さんの自由な発想のもとで、自由に研究することが保証されております。産業革命以来、自然科学は、産業との結びつきが強い科学技術に大きくシフトし、哲学的要素を失ってまいりました。それは、近代社会の発展に大きく貢献した一方で、地球の環境を破壊し、人類に健康被害をもたらしております。今や神の領域に足を踏み入れている二十一世紀の科学技術は、これまで以上に速いスピードで展開され、社会的影響も格段に大きく、一歩間違えれば人類を、そして世界を崩壊に導く危険性さえ孕んでおります。さらに、産業と直結した科学技術は、経済界の影響から逃れることが困難な時代になっており、場合によっては、企業倫理と研究倫理とは相反することもあり、研究不正を誘発することさえあります。だからこそ、研究者には高い倫理感、公正な自己批判精神と自制心が求められ、哲学をはじめとする人文社会科学による監視やコントロールが必要なのであります。研究成果を社会に公表し、専門家による審査を受けて論文にするだけでなく、一般社会からも、その価値と意義を評価され、理解されることが必要であります。第三者の審査を受けない研究成果は、研究者の自己満足に陥る危険性を孕んでいるということを、深く胸に刻み込んで下さることを期待しております。
さて、教育には常識が大切でありますが、研究には非常識とも言える発想が求められます。それは、常識というものは既知の事柄であり、未知の領域には、常識だけでは対応困難なことが多いからであります。研究者は非常識と感じる事柄を無視すべきではありません。非常識の中にこそ解明につながる方策があるという考えも必要であります。画期的な研究は優れた観察力と常識を越えた発想に寄り添ってくるものですが、その一方で、研究者には、社会的常識と豊かな教養、広い視野の鳥瞰力、そして洞察力を身につけ、自分を信じながらも、本当にこれで良いのか、と自問自答し、議論を繰り返すことが求められます。皆さんにはこれらのことを胸に刻んで、真摯に研究に邁進して下さることを期待しております。 最後に、知識には玉もあれば石もあります。これから洪水の如く押し寄せてくる、最先端の知識を学ばれる皆さんに次のことばを贈り、学長告辞とします。
「眼力を養うのは知識だけではない。知識に寄り掛かれば目は曇る。知識は感性と悟性につもってくる垢である。」
悟性とは思考力のことです。よく学ぶことは大切ですが、最新論文といえども知識は過去の産物であります。過去の知識に依存し過ぎると、見えるものも見えなくなってしまいます。今日のエビデンスは、明日にはエビデンスではなくなる可能性があることを忘れないで下さい。
「知識に寄りかかれば目は曇る。知識は感性と悟性につもってくる垢である。」
入学おめでとう。
平成27年4月3日
高知大学
学長 脇口 宏